松戸から電車を乗り継ぎ、会場のポートタワー前広場に着くと、オリンピックの時と同じく聖火皿がドン!と出迎えてくれました。が、よく見ると色が違います。こちらはピンク色が強い感じですね。桜ピンクと言うそうです。
今回も、ひとつの区間が終わると聖火は大切にランタンへ一度移され、次の区間の準備を待ちます。
今朝松戸で採火された火もここに入っているのだと思うと不思議な気持ちになりますね。
式典の終わりに熊谷知事が
『54市町村それぞれの地で障がい者の方や子ども達が色んな方法で採火しましたが、“縄文式”の火起こしが多かった。この縄文時代は世界中でも特徴的で、障がいを持った大人の骨が見つかっています。体に障がいを持った人が村の中で大人に成長している、日本という国は古くから支え会う共生社会だったと思われます。』
と話すと、周囲の式典参加者も笑顔で頷き合っていました。
お話を聞かせてくださったのは、柏市西原にある「和風ダイニング わっ嘉」のオーナーで料理人の金子淳一郎(かねこ じゅんいちろう)さん。
金子さんは交通事故で車イスを使うようになりましたが、現在も凄腕の料理人。車イスの人が来店しやすいようにと、バリアフリーのお店を3年前にオープンされました。
金子さん「車椅子の私でも料理人をやっています。動こうとすれば何でも出来るということを他の方に伝えられたらと思いました。」
金子さん「コロナ禍なので参加することに少し複雑な気持ちでしたが、楽しかったです。」
金子さん「近くの小学校の通学の見守りをしているのですが、車椅子の人にどう声をかけたり接したりすれば良いのか皆知らなくて、最初は戸惑うんですよね。それはなぜか?車椅子の人が何が出来て出来ないのかを知らないから。接する機会が無いので当たり前ですよね。なのでもっと車椅子利用者が外に出て、どうすれば良いか考えるきっかけになれば理解が深まり、一緒の空間にいることが普通になると思うのです。まずは同じ空間で過ごすきっかけに、僕の店に来てください」
まずはお互いに理解を深め合うことが大切。本当にそう思います。
―ボランティアに参加しようと思ったきっかけは何ですか?
中野さん「2012年ロンドンオリンピックの時に沢山のボランティアが居て成功したという事をテレビで観て、東京でオリンピック開催が決まったら、何らかの形でぜひ参加したいと思いました。」
中野さん「2019年5月に、ボランティアの採用面談に行きました。グループでの作業や、2人1組での面接などがありました。語学力より協調性や積極性を重視されたような気がします。」
中野さん「2019年11月に講習を受けました。オリンピック・パラリンピックの歴史やボランティア、フィールドキャストの心得などでした。ただその後は新型コロナ感染拡大のため、オンラインの講習だけとなりました。その間に活動場所と役割が決まり、私は幕張メッセでイベントサービスの担当となりました。」
中野さん「まずはオリパラともに開催されて、選手が参加出来て本当に良かったと思います。当初私が配属されたのは観客への対応やチケットのチェック等でしたが、無観客試合となったためその活動がなくなり、他の部署で活動する事になりました。パラリンピックも同様な流れでした。」
中野さん「開催反対の声がある中、ユニフォームで現地へ向かうのでなかなか緊張しました。海浜幕張駅で沢山のユニフォーム姿を見てホッと安心したのを覚えています。食事会場も休憩所も、実働場所から遠かったので、オリンピックの初日は往復だけで疲れました(笑)」
中野さん「パラリンピックではテコンドーの会場担当で、障がいのある選手達の並々ならぬ努力を垣間見る事ができて良かったです。ボランティア仲間が、各所で合間に折紙で鶴や花を作ったり、会場をデコレーションしたりして積極的にその場を盛り上げていました。年齢・性別を超え、初めて出会った人同士できちんと楽しく役割を全う出来たのはとても素晴らしい経験でした。今後とも何か機会があれば、気力体力に合わせてボランティア活動に参加したいなと思っております。」
沢山お話を聞かせていただき、ありがとうございました。