七五三参りの家族からの「シャッター押してもらってもいいですか?」に対する自然な対応に、橋本会長の挨拶の意味が理解できました。お2人の東京2020大会に至る長い旅路に迫ります。
2002年 結婚
眞田夫妻「そこからですか!!(笑)」インタビューは松戸駅西口から始まりました。
眞田 耕成(さなだ こうせい)さん
東京都板橋区出身
都内の出版社勤務
結婚を機に2002年から松戸市民
耕成さんは、東京2020大会前からボランティアに通じるさまざまな活動をしていました。
「グッド・チャリズム宣言プロジェクト」理事、「東京夢舞いマラソン・ポタリング」実行委員、「日本スポーツボランティアネットワーク」及び「東京マラソン財団オフィシャルボランティアクラブ」でボランティアリーダーを務める筋金入り。
「自転車にハマったのは中学生時代。ブリヂストン製のロードマンという自転車であちこち走っていました。
スポーツは水泳とマラソンをやってました。
観る方では野球、サッカー、ラグビーが好きです。松戸との縁は妻に聞いてください。」
眞田 郁子(さなだ いくこ)さん
秋田県横手市出身
松戸市内の会計事務所勤務
1997年から松戸市民
ボランティア歴4年
「松戸との縁ですか?
独身時代から住まいも職場も松戸駅近くです。とても住みやすくて、結婚しても松戸に住み続けたいと主人と相談して、この地で結婚生活をはじめました。」
お2人の生活圏を巡りながらインタビューを進めます。
耕成さん「テレビ買い替えを機に、スポーツ専門チャンネルと契約しました。そこで海外のサイクルロードレース中継を目撃し、忘れていた自転車熱が蘇りました。妻も友人の出るレースの応援に行ったことがあり、一緒に観るようになったのです。」
なにやらボランティアしながら生でレースを楽しむ匂いがプンプンしてきたぞ~(笑)。あっ!まだこの頃は東京2020大会は決まっていなかったです。
郁子さん「夫のスパルタな練習(笑)もありましたが、そのおかげで長い距離を走れるようになりました。お店主催の走行会を通じて多くの仲間とつながり、何より夫と共通の話題があることに幸せを感じます。」
2台同時購入とは!一体おいくら万円(笑)と聞きたくなります。
郁子さん「『トーキョー!』と聞いた瞬間、興奮して夫と握手しました。絶対にオリンピックに関わることをしたいねと話したことを覚えています。」
耕成さん「一生に1度きりの東京2020大会。何としても2人で関わりたい気持ちでした。その時点では純粋に“何か興味のある競技に関われれば”という気持ちで妻と一緒にボランティアに応募しました。」
取材中、至るところで記者を気遣うお2人。
「相模屋さんのお母さんです。」と、行きつけの和菓子店を紹介してくださったり、きてみてまつど通りのお店では、ゆっくり話をするのに適した外のテーブル席の使用許可を取ってくださいました。
記者のニーズを察知する気配りに、お2人が各地のボランティアで活躍する姿が目に浮かびます。
ゲストで参加していた元F1ドライバー・片山右京さんは、耕成さんが理事を務める「一般社団法人グッド・チャリズム宣言プロジェクト」のプロジェクトリーダー。
その片山さんが同年11月、東京2020大会自転車競技のスポーツマネージャーに就任します。
郁子さん「スタート地点の武蔵野の森公園で関係者の受付や一般来場者の対応をしていました。残念ながらスタートシーンを見ることはできませんでしたが、東京2020大会に関わっている充実感がありました。」
耕成さん「来場者用出入口で対応に当たるボランティア十数人をまとめるリーダーでした。ボランティア経験の浅い人も楽しんで活動できるよう、盛り上げながら自分も楽しみました。」
新型コロナウィルスの感染が世界中に拡大し東京2020大会の延期が決まります。
耕成さん「この間も研修は続いていました。本番では2人とも、ボランティアスタッフをまとめ大会組織委員会担当者との間を取り持つボランティアリーダーになることが決まります。」
郁子さん「来年の夏にはコロナ禍が収束し本当に開催できるのか、開催に否定的な報道もあり、疑問を持ったり、不安を抱いたりしたのは事実です。」
お2人「コロナ禍で働き方も変わり、これまでの日常と全く違う生活の中でしたが、ボランティアを辞退しようという気持ちは全く無かったです。一生に1度の機会。絶対逃したくなかったです。」
郁子さん「会場に行くためにユニフォームを着て向かった松戸駅西口で『ボランティアさん?頑張ってください』と声を掛けられ、夫と顔を見合わせて喜びました。コロナ禍の開催に対する厳しい目もあり、中には私服で家を出て駅のトイレで着替えてから会場に行くという方もいたそうです。」
耕成さん「リーダーとして意識したことは、仲間が楽しく活動できるように、とにかく自分が楽しむことでした。マスクの中から笑顔を絶やさないようにして、気持ちよく話ができるよう心掛けました。」
ボランティアは全競技で約7万人。大会ムードを盛り上げるためユニフォームで会場に通うことになっており、専用の更衣室やロッカーはなかったそうです。
オリンピック男女ロードレースのスタート会場・武蔵野の森公園での4日間から振り返ってもらいました。
耕成さん「国内外の来賓・来日した審判団・競技車両ドライバーに対する軽食のサービスが主な仕事で、妻が担当する選手用テントエリア設営の監督や来賓席エリアの警備も担当しました。そこでは、テストイベントで叶わなかったレースのスタートシーンを目の前で観ることができました。」
郁子さん「テントエリア設営に加え当日は選手のスタート地点への誘導も担当しました。
大会組織委員会からの指示を伝えるだけでなく、こうした方が皆やりやすいのでは?と提案したり、明日本番なのに間に合うかしらと、リーダーの責任もあって緊張した貴重な経験でした。
帰りの常磐線で翌日の手順を検討していると、帰宅後に夫が組織委員会から渡された書類を分かりやすく加工してくれて、家庭でもリーダーの夫(笑)に助けられました。」
お二人「素晴らしい出会いもありました。
ボランティアでご一緒した聴覚障害者の早瀨久美さん。夫の早瀨憲太郎さんとともに、2022年にブラジルで行われる夏季デフリンピック競技大会の自転車競技日本代表に内定しています。
また、2025年に日本で初めてデフリンピックを開催するための招致活動でも活躍中です。
何と早瀨久美さんは2才から高1まで松戸市民で、今も友人が市内にいるとのことでした。」
それはオリンピック男女タイムトライアルレースにおいて、ゴール直後の上位3選手が座るホットシートで、メダリストへの飲み物やタオルのサービス、表彰式や報道エリアまでの誘導を担当したのです。
郁子さん「それがジャンケンなんです(笑)。手を挙げて、大接戦の末、担当する3人に私たち夫婦が2人とも勝ち残ったのです。オリンピック直前まで、テレビでずっと見ていた選手が目の前に!メダルが確定した男子選手の涙を見たときは、私も感動して込み上げるものがありました。」
― 緊張しませんでしたか?
耕成さん「緊張なんてまったくしませんでした。午前に女子、午後に男子、2度もメダリストを先導することになり、夫婦揃って夢の時間を共有できたことを一生(笑)語り続けることでしょう。女子の表彰式終了後、歩きスマホで国際電話をする金メダリストを追いかけたり、行先を指さす私の姿がTwitterに取り上げられ、話題になりました。」
所属する「一般社団法人グッド・チャリズム宣言プロジェクト」は震災直後から復興イベントの共催団体として活動しています。東京2020大会後も陸前高田市に出掛けます。
多くのパラアスリートをサポートしたことで、“障害者と認識する私の意識そのものが障害なのだ”ということを強く感じました。健常者・障害者の区別のない共生社会になるためのボランティアを続けていきたいと思います。」
インタビューの最後まで気を遣う眞田夫妻。8年前、テレビの前で握手した2人が、いくつもの日々を越え、東京2020大会で輝いていたこと、そして笑顔が溢れていたことが分かりました。