私も、よくよく振り返ってみると、松戸でたくさんの素晴らしい方たちと出逢い、学びを得ました。そして、その方たちが松戸で、その方たちなりの素晴らしい『夢』を叶えて、ご活躍されていることを知りました。
タイトル 松戸で夢を叶えましょう!
サブタイトル 〈松戸で働き、自分の夢を叶えた人の物語〉
松戸で夢を叶えた人をご紹介しながら、私も学び、ご覧いただく方たちにも夢と元気を、松戸から与えられればと思っています。
さて、そんな記念すべき第1回目のゲストは
石上瑠美子(いしがみ るみこ)さん
をご紹介いたします。
お仕事では、小笠原流礼法教授、朗読・講談・ボイストレーニング講師、無声映画弁士、各種講演、古物商・春宵堂など、本当に多岐にわたり、幅広いご活躍をされています。
また、お名刺の肩書きには、日本飲酒党、夜の松戸市長ととてもユニークな肩書きも書かれていて、私にとっては、いつも貴重で、様々なアドバイスを頂ける観光の大先輩なのです。
【質問①】
あなたが松戸で叶えた夢を教えてください。そして、その夢はどうやって実現したのでしょうか?
『私は、松戸市民劇団では、この劇団の主、お父さんの様な存在と思っています。だって、劇団が出来て35年、みんな人生の選択をしてこの劇団にいるのですから』
石上さんが松戸で叶えた夢を伺っていた時に、一番印象的だった言葉がこちらでした。様々に、新しいことにチャレンジされて、多くの夢を叶えて来た石上さん。その中でも一番大きなモノ、それは、昨年でめでたく35周年を迎えた「NPO法人松戸市民劇団」でした。
35年もの長きに渡って活動してこられた裏には、本当に様々なご苦労があった様です。その中で石上さんが、一番心に思っていることは、
「市民の方の中に、もし、芝居をやりたいと思った方がいらっしゃった時に、そこにこの市民劇団があるという責任感があります。そしてまた、いまいるメンバーの生活が、親兄弟以上に劇団と密接に関わっています。365日、劇団のことを考えない日はないですね。」
とのことでした。
【松戸市民劇団 稽古場の風景】
八柱駅そばにある松戸市民劇団の稽古場にて。「当時は、住まいと稽古場と居酒屋が一緒に出来れば、なんて考えていたんです(笑)。」
『当時の松本清松戸市長とすぐやる課がなければ、きっといま劇団はやっていなかったかも知れません』
石上さんに、35年前、この市民劇団の立ち上げの頃についてうかがったところ、それは、松本清市長の長期構想の中に市民劇団の立ち上げがあったこと。そして、なんといっても新しくできた「すぐやる課」に、仲のよかったお友達が第一号女性職員として採用され、そこによく顔を出していたことがきっかけだとおっしゃっていました。
そこで当時、劇団より先に活動を始めた、松戸市民交響楽団の司会のお仕事を紹介されました。そして、劇団の稽古をするための会場を借りやすくするためにということで、松戸市民交響楽団の演劇部としてスタートすることが出来たとのことでした。本当に、劇団のスタートのきっかけは、松本清市長とすぐやる課だったのです。
『すべてが、人が紹介してくれたご縁でつながっているのです』
石上さんが、35年間の松戸市民劇団の演目の中でも、非常に思い出深い作品の一つとしてあげられたのが『梨の懸け橋』と言う作品です。
こちらは、松戸市から鳥取県へ送られた二十世紀梨のストーリーとして、100年目を迎えた2004年に演じられました。
「これは、百年前の梨が取り持ってくれた不思議なご縁です。」
とおっしゃる石上さん。
石上さんの演出で、倉吉市にある影絵劇団との共作で制作され、松戸市、鳥取県倉吉市、そして梨の袋かけ技術のある奈良県大淀町でも演じられたそうです。
「これがご縁で、いまも、とっとりふるさと大使をやっています。よくよく考えてみると、まつど観光大使や松戸シティガイドも、当時のNHK大河ドラマで徳川慶喜(よしのぶ)をやることが決定した時に、戸定邸の主であり、慶喜の弟でもある昭武(あきたけ)にスポットが当たるだろうと昭武検討委員会が立ち上がって、市役所からたまたま呼んで頂いて、様々なアイデアを出しました。そこにいた当時の委員の方たちとのご縁で、まつど観光大使や松戸シティガイドが立ち上がり、それがいまも続いているのです。松戸の観光案内所であるひみつ堂も、そんなご縁が重なって実現出来て、それがいまも続いていて、とてもありがたいことです」
と石上さん。
石上さんのお言葉から、様々な夢の実現には、そんな多くの素晴らしい出会いを大切にし、そのご縁を活かして行くことが大切なのだと思いました。
【松戸の観光案内所 松戸探検隊ひみつ堂。レトロな建物が心を癒してくれます】
様々な方とのご縁がつながり運営されている松戸探検隊ひみつ堂。石上さんは、松戸宿に残る古民家で何かをやりたいと思い、この「ひみつ堂」を実現させたそうです。
【質問②】
あなたが好きな言葉(座右の銘)を教えてください?
『私が好きな言葉は、生きて来た時代により変化しています。中学生の頃は、確かNHK大河ドラマの中で源義経が言ったセリフ「人それぞれゆえ構わぬ」でした。その後は、論語の中に出て来る「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」がずっと私の好きな言葉でした。そして、歳を重ねて来ていまは、「恩は石に刻め、情けは水に流せ」です。』
特に、二つ目の「朝に道を聞かば、夕べ死すとも可なり」は、いま何かをやり遂げることが出来れば、いま死ぬことは惜しくないと思いながら、様々なことをやり遂げて来られたそうです。死ぬ気で何かに取り組んだこと、皆さんはありますか? 私も、自分の胸に手を当てて、しばらくの間、考えてしまいました。
【質問③】
あなたの中で、松戸の好きな風景を教えてください?
『まつど観光大使として、そして松戸シティガイドの相談役として、この質問が来た時に、やはり「戸定邸?」 と思いました。でも、松戸は私が生まれてから、現在までずっと住んでいる街。そこで、古き良き昭和の雰囲気が残っている根本周辺をご紹介したいと思います。この辺りは、まだ当時の路地やコンクリート製のゴミ箱も残っていて、とても懐かしい風景なのです。』
石上さんからご紹介頂いた、根本に残る昭和の松戸。いまにも走り回る子どもたちが飛び出して来そうな、そんな風景が残っています。
【質問④】
あなたの今後の夢について教えてください?
『これまで松戸で、ずいぶんいろいろと面白いことをさせて頂きました。その中で「ひみつ堂」は、地域の縁側のような存在として、様々な人たちが集う場所にしたいと思いながら運営して来ました。次の夢は、ひみつ堂の奥にある、いまではマンションに囲まれてしまっているお庭。ここを、多くの方たちが集まり、それぞれの小さな夢を叶える場所にしたいと思っていて、すでに整理を始めました。例えば、カフェやマルシェ、屋台村のような、そんなスペースです。次に伝えていく年代として、若い世代の方たちにそんなスペースを創ってみたいのです。』
『それぞれの人たちが自分の人生の主役なので、その人たち全員が自分の夢を実現させる。それに、このスペースがちょっとでも役立てば嬉しいのです。』
自分の夢と、人の夢、どちらも大切に考える石上さんのお言葉を聞きました。
「ひみつ堂」は地域の縁側として、大正時代に造られたお米屋さんの古民家を利用して営業されています。また奥のお庭は、まるでマンションに囲まれた秘密のスペースの様です。ここには、秋には柿やザクロの実もなり、楽しいことがたくさん生まれる予感がします。