矢切の土手から見た東京の景色
スカイツリーと富士山が綺麗に見えます
矢切ねぎは何処からやって来たのか?
さて、またこの寒い季節がやってきましたね。
以前に生産者に密着し、矢切ねぎが育つ様子を記事にしましたが、そもそもこの美味しい矢切ねぎはどこから来たのだろうと疑問が浮かび、そのルーツに迫ってみようと思います。
果たしてたどり着くことが出来るのでしょうか?
以前の記事:まつどブランド 極み輝く『矢切ねぎ』 ~生産者編~
まずお話を聞いたのが、前回お世話になったカネキ近藤農園の近藤さん。
記者『矢切ねぎは元から松戸にあったのですか?』
近藤さん『いや。昔々、江戸川の向こう側にある千住ネギが良いねぎだということで、江戸川を越えこちらに持ち込まれたのが始まりと伝わっています』
記者『松戸の中でもなぜ矢切の地へ伝わったのでしょうか?』
近藤さん『それは交通の便が限られていた昔、矢切には有名な演歌にもある“あの渡し船”があったので、それに乗って種や育て方などが入ってきたと聞いています』
記者『なるほど渡し船ですか』
近藤さん『土寄せをする育て方は東京都江東区北砂辺りから伝わったらしいんですよ。この話は先祖代々受け継がれているんですけど確認した人はいません』
なるほど、矢切ねぎは矢切の渡し船に乗って対岸からやってきたということですね。
ならば江戸川を越え、東京へ行って調べてみましょう。
大きく育った矢切ねぎを持つ近藤さん
江戸川の向こうの江戸千住葱
2015年浅草雪まつりの様子(千束小学校に集まる人達の様子)
千束小学校校庭に運び込まれた大量の雪で作られた雪の滑り台
東京へ行くと言ったものの、どこから調べていいのかと思っていたときにふと、千住ネギの名前をどこかで聞いたことがあるような気がしてスマートフォンの画像を遡っているとなんと・・ありました。
2015年1月、千束(せんぞく)小学校などで開催された『第1回浅草雪まつり』。そこに江戸千住葱を復活させブランドとして有名にしよう、と出店されていた方とお話しをしていたのを思い出しました。
画像からお店を検索してみると、2021年10月に小売りの店舗をオープンしたという情報が。
体当たり記者としては会ってお話が聞きたいと、さっそく店舗へ向かうことにしました。
あ、松戸市内ではないので、いつもの自転車ではなく電車でGOです(笑)
葱善(ねぎぜん)店頭で対応してくださった竹野さん
葱善で販売されている江戸千住葱
2015年浅草雪まつりで江戸千住葱を販売する様子
店舗は雪まつりが行われた千束小学校の前。
外観の写真を撮影していると中から女性が出てきたのでいきさつを話し、過去の写真を見せると
『まぁ松戸から来られたのですか。雪まつり覚えていますよ。雪をたくさん運び込みました。その写真、社長です、父です。不思議なご縁ですね、なんでも聞いてください』
店におられたのは【千住葱生産販売 葱善】社長のお嬢さんの竹野佑実子(たけのゆみこ)さんでした。
記者『早速ですが、千住ネギが矢切ねぎのルーツだと聞いてきたのですが本当でしょうか?』
竹野さん『はっきりとそうだとはわかりませんが、太く育ち甘くてしっかりした食感を好まれる方に評判が良く、千住葱は各地へ伝わっていったようには聞いています。矢切ねぎも知っていますよ。とても甘味の強い美味しいねぎだと聞いているので、矢切の地にも伝わったのだとしたらとても嬉しいですね』
こちら側では千住ネギを矢切に伝えたという話は特に伝わっていないようです。
でも見てください。江戸千住葱は矢切ねぎとそっくりなんですよ。
江戸千住葱、矢切ねぎとそっくりですね
竹野さん『私達は廃れてしまった“江戸野菜”を復活させブランド化しています。次世代へ繋げていくのは大変ですが、後世に残すのも今の私達の役目だと思っています』
昔からの野菜を未来へ繋げていく、素晴らしい取り組みですね。
記者『ところで土寄せの技法が東京都江東区の砂町という場所からというのは聞いていますか?』
竹野さん『はい、土を寄せて盛り上げる栽培方法ですね。それは砂町が発祥と聞いています』
江戸千住葱を記者も購入し食べてみましたが、矢切ねぎよりシャキシャキとした感じが強く、しっかりした食感を好む方にオススメです。
さて、次は“砂町”というキーワードを追いかけてみようと思います。
矢切ねぎのルーツは分かるのか?
楽しみですね。