松戸まつど
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松戸市内で「廃線跡」散策

松戸市内には6路線以上の鉄道が走りますが、実は役目を終え廃線になった鉄道があるのをご存知ですか?
今回は松戸市内における「廃線跡」をレポートしてみたいと思います。

新京成線の意外なルーツは?

カーブが多い事でも有名な新京成線。
その由来は「鉄道連隊」といわれる旧日本陸軍の鉄道敷設部隊の演習線跡地を転用したためで、カーブが多く遠回りをしているのは、演習にあたり距離を稼ぐためと言われています。戦後、演習線跡の大部分を払い下げて新京成線が開業しました。

  • 八柱駅付近の新京成線の線路脇に残る陸軍の「境界標石」

  • 新津田沼駅前に保存されている小さなSL。このSLこそ元鉄道連隊・演習線で活躍していたもの

  • もう1つの“松戸駅”

    鉄道連隊・演習線の終点も“松戸”でしたが、現在の松戸駅ではなく別の場所でした。
    現在の松戸中央公園は「陸軍工兵学校」の跡地。演習線の”松戸駅”もこの付近にあったと言います。

    つまり、新京成線のうち(現)松戸駅〜上本郷駅間は新たに建設された区間となるため、まずは新京成”上本郷駅”より散策スタート。

  • 新京成線は上本郷駅を出ると西側へ大きくカーブ。しかし演習線はそのまま南下します

  • こちらは国道6号線との交差部。右側の細い道路が元線路跡地と思われる市道

  • 上本郷駅線路脇の市道を南西方面に直進、国道6号線とは斜めに交差するかたちで伸びる道路に「廃線跡」の面影を見る事ができます。

  • 第一中学校付近の住宅地で陸軍の「境界標石」を発見

  • 旧陸軍工兵学校の跡地に位置する「松戸中央公園」

  • 周辺は開発され、線路があった面影を探すことはできませんでしたが、松戸中央公園の門こそが旧工兵学校時代の「生き証人」だったりします。

    さらに「支線」が存在

    上本郷から「陸軍工兵学校」に向かう路線とは別に、途中分岐して胡録台から和名ケ谷を経由して、中の兵(現在の二十世紀が丘付近)に延びる路線も存在していました。現在の松戸新京成バス・三矢小台線とほぼ並行するルートです。

    胡録台地区では区画整理等で線路跡を確認することは困難ですが、住宅地の中にある公園にその面影を見る事ができました。

  • こちらが胡録台公園。財務省から無償貸付、市が管理とシールが貼られています。国有地というのが旧陸軍用地である事が伺えます

  • 歩いてみると不自然な縦長の公園です。いかにも廃線跡という感じが伝わってきます

  • 演習線は松戸市消防局庁舎付近を抜け南に進路を変えます。バス通り(まてばしい通り)を越え、和名ケ谷付近では線路跡がそのまま道路に転用されています。

  • まてばしい通りを越え、南に大きくカーブ。この緩やかなカーブが線路跡を物語ります

  • さらに南下し和名ケ谷中学校脇。片側1車線の車幅しかなく一方通行。この場所を小さなSLが走っていたのでしょうか

  • この先「陣ケ前」バス停付近より西側、中の兵駅があったとされる二十世紀が丘付近は、造成により廃線跡を確認する事は困難となっています。
    中の兵駅からさらに柿ノ木台方面に伸びていたという情報もありますが、軍事的な事情もあり記録が少なく、残念ながら確認する事はできませんでした。

    短絡化により転用されなかった区間

    演習線のルートが全て新京成線に転用されたわけではなく、一部は短絡化され、作り直された区間が存在します。常盤平駅〜五香駅間は現在より大きく北側に迂回するルートで、今回は常盤平から線路跡を散策してみます。

  • 演習線は常盤平駅付近より北側に大きくカーブ。熊野神社西側の道路にその面影を見る事ができます。右側の森は市民が保全を行う「囲いやまの森」

  • 県道51号線との交差部には陸軍と書かれた「境界標石」が残っていました

  • 演習線はこの先、柏市青葉台(現在のヨークマート付近)まで大きく迂回していたそうですが、宅地開発などにより面影を探す事はできませんでした。金ケ作小学校付近の市道に面影があるというので、こちらも訪れてみる事にします。

  • 金ケ作小学校東側の市道。単線分の用地をそのまま道路に転用したものと思われます

  • 先ほどの市道を進むと県道57号線に突き当たります。この先が五香駅で、現在の新京成線の線路と合流

  • また、稔台工業団地の場所には旧八柱演習場があり、松戸新田駅〜みのり台駅間も現在よりやや南側を迂回するルートだったそうです。八柱駅〜常盤平駅間も旧演習線はやや西側を通るなど、新京成線建設に際しては各所でルートの見直しが行われました。

    最後に

    今回松戸市内を巡ってみましたが、廃線跡はとにかく勾配が少なく歩きやすいこと。谷津田と呼ばれる高低差の激しい松戸市の地形を考慮し、あえて坂を避けたルートで建設されていたのかもしれません。

    また鎌ケ谷市内には橋脚跡が、千葉市内には演習用のトンネル構造物の跡など、千葉県北西部各地に遺構が残されています。

    小さなSLが駆け抜けていた線路跡に思いを馳せながら、歴史散策してみるのも面白いかもしれません。

    倉地 大

    倉地 大 (くらち だい)

    千葉県出身、子どもの時からずっと松戸育ち。学生時代から旅行が好きで全国各地を旅行。全47都道府県を制覇しました。様々な視点から松戸市の魅力を発信してゆきたいと思います。

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