午後5時から始まった夜の部
「待ってました!」
観客から声がかかります。
今回は三遊亭歌る多(かるた)さんを取材しました。
待ってました(笑)。ついに松戸登場!
実は、歌る多さん
昭和53年 松戸市立小金中学校卒業
昭和56年 国学院高校卒業
小学生時代から大学中退まで
約10年間松戸市民だったそうです。
本名 金井ひとみ
昭和56年9月 国学院大学経済学部中退
三代目三遊亭圓歌に入門
前座名「歌代(うたよ)」
昭和62年5月 二ツ目昇進
「歌る多(かるた)」と改名
平成5年3月 女性初の真打昇進
平成22年 落語協会理事に就任
どこにでもいそうな中学生がどうして落語の世界に?
また、どのような生活を送っているのか?
中・高校時代はコーラス部に所属
「大きな声が出るのは部活のおかげですかね~♪」
今でも中学時代の友人が演芸場に足を運んでくれるそうです。
卒業アルバムには
「1年生の時にできた友人は、今でも友人でいてくれます。友人関係は長い間保っていきたいと思います。」と記されていました。
TBSラジオでは「夜は友だち」に出演していた春風亭小朝さんが話題に。
ここが運命の分かれ道!
「ご近所の人からいただいた落語のチケットに春風亭小朝さんの名前。『いったいどんな人だろう?』と聴きに行って落語の世界に引き込まれたのです。」
すっかり落語に魅了された金井さん。
「東芝銀座セブン」ビルで毎週土曜日に開かれていた「東芝銀座土曜寄席」通いが始まります。
「当時神田の予備校にも通っていたのですが、予備校までの電車賃とパン代300円を流用して銀座に通っていました。」
「学校は制服なものですから、怪しまれないように(?)サングラスをして寄席に行きましたので、今にして思うと相当怪しい格好だったと思います。」
「大学1年の夏休み前にはこの道に入りたいと決意しました。
今では考えられないのですが、落語協会に電話をしたところ師匠圓歌の自宅住所を教えてくれたのです。
麹町の師匠宅のインターホンを押すと、お弟子さんたちが、『師匠…女性の入門希望者です。』と慌てている様子が聞こえました。
その日、師匠からは『親の許可を得てから来なさい』とのお言葉。
これは親が許可するはずはないということから、断りの常套句(じょうとうく)だったのです。
もちろん母は私の落語好きを知っていました。
ちょうど大学は夏休みでしたので、厳しい修行に9月の終わりまで2か月も持つわけがないと思ったようでお願いに同行してくれました。
その時のことを今でもはっきりと覚えているのですが…
母が何を勘違いしたのか『この子は円楽さんが好きなんです』と一言。
師匠が『上等じゃないか!』と思ったようです。」
朝、師匠が起きると寝室にお水を持っていき、部屋を移るのを見計らって掃除です。
修行時代の話に興味が湧きます。
「自分の母親がけっこう躾に厳しくて、そこそこなんでもできたことと、
師匠は大変厳しい方ですが、私が悩んでいることを知ると『私はあなたの父親代わり』とヘッドロックで頭をぐりぐり(笑)、やさしい一面もありました。
厳しい指導と愛情表現のさじ加減が絶妙で、弟子達の間では『師匠の弟子ころがし』と呼ばれていました。
また、若い男性の弟子ばかりの中に女性が一人は良くない、と2年後にはアパートからの通い修行が許されるなどいろいろ配慮がありました。」
- 「周りの方が困ったでしょうね(笑)」
苦労話を仕向けてもするりとかわされてしまいます。
楽屋で写真撮影をする際に、
「後ろに階段がありますよ、お気を付け下さい。」
と記者に対する気配り。
楽屋で働く前座さん達の動きの中に、若き日の歌る多さんの修行時代を想像するしかありません。
「楽屋では座る場所にもルールがあります。偉い方が座る上座や壁側。例えば末広亭には火鉢が置いてあるのですが、火鉢の周りに座るまで30年かかりました。最初に座るには勇気がいりました。火鉢を囲んで先輩師匠とする世間話にも勉強する機会がたくさんあるのです。」
「業界用語でお客さんのことを『金(きん)』と呼んでいます。お客さまがなかなか笑わない場合『重金(おもきん)』、すぐに笑ってくれるようなお客さまを『今日は甘金(あまきん)だな~』と
出演者はトリを務める師匠の登場までお客さまの雰囲気が高まっていくよう演目を選ぶルールがあるのです。
幕の内弁当のようにお客さまにいろいろな話を味わってもらう配慮も必要ですし、一門が宝物のように大切にしているネタもあります。
狭い楽屋に次から次へとやって来る落語家はネタ帳を見て前の演者のネタを確認し、自分の演目を決めるのです。」
「落語家が東京出身というのは、聴く方にとっても安心感があるようです。あの有名な落語家が〇〇県出身とは言えません。
江戸っ子というのは東京でも特定の地区に三代住んでいませんとなりません。
実はわたしは東京出身なんですよ、途中…、
10年ほど松戸に住んでいました。」
歌る多さん!「元松戸市民」アピールをありがとうございました。
残念ながら写真はないのですが…、浅草でのインタビュー時にも粋な和装で登場した歌る多さん。
「浅草は和装小物が普段の生活で手に入りやすく、着物の決まりごとや四季を感じながら暮らしています。
大家さんをはじめとするご近所付き合い、地域のお祭りなど、大切にしたい昔から受け継がれた暮らし方があります。」
弟子として預かった以上は責任を持って躾をしています。
自分の背中を見て育って貰いたいといつも思っています。」
自分が楽しみながら、自己満足であってはいけませんが、お客さまと楽しさを共有したい。
行く先々の水に合わなければなりません。」