受け継いでる2017年3月15日

松戸の中のパリ~千葉大学園芸学部フランス式庭園と戸定邸庭園~

今年2017年は、1867年(慶応3年)に日本が初めて参加したパリ万国博覧会からちょうど150年目にあたります。150年を記念して、戸定歴史館、渋沢史料館、千葉大学園芸学部、日本仏学史学会等が連携して、
”PROJECT1867”として、様々な行事が行われる予定です。
”PROJECT1867”のプレイベントとして、
昨年(2016年)11月に『松戸の中のパリ フランス式庭園ツアー』が行われました。

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 千葉大学園芸学部 フランス式庭園 サンクガーデン

このツアーは、松戸シティガイド、千葉大学園芸学部、戸定歴史館の協働により開催されました。
松戸探検隊ひみつ堂が募集したこのツアーに申し込んだ市民の方30人が、戸定歴史館の齊藤洋一館長、千葉大学園芸学部の小林達明学部長のお話を聞きながら、松戸シティガイドさんの案内で千葉大学園芸学部の庭園を巡りました。

◆徳川昭武、将軍の名代(みょうだい)としてパリ万国博覧会(万博)へ

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 戸定歴史館 斎藤洋一館長

1867年(慶応3年)に行われた第2回パリ万博には、15代将軍・徳川慶喜の名代として、水戸出身で慶喜 の弟にあたる徳川昭武 (当時満14歳)が派遣されました。
この使節団には渋沢栄一も随行し、江戸幕府のほか薩摩藩・佐賀藩も出展をしました。昭武はこの時、ナポレオン3世にチュルリー宮殿で謁見し国書を渡しました。また、当時特別な身分の人でないと入ることの出来なかったベルサイユ宮殿にも招かれ、庭園を見るという貴重な経験をしました。

パリ万博期間中の1867年11月10日に大政奉還となり、その後江戸幕府は終焉を迎えました。この事態に昭武は翌年帰国をすることになるのですが、このフランス滞在期間中にはシェルブールでカフェ巡りをするなど、過密な日程をこなしながら、多くの体験をしました。

昭武の随員としてパリ万博を視察した渋沢栄一は、先進的な社会を見て、後(のち)に「資本主義の父」と言われる数々の功績を残しました。

 ◆パリ万博と日本の園芸・造園との関わり

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千葉大学園芸学部 小林達明学部長

 19世紀に行われたパリ万博は、オスマンの都市改造(1855年)から第4回エッフェル塔建設(1889年)を経て、5回開催されました。
日本はその2回目(1867年)から毎回参加し、「ジャポニズム」の流行を巻き起こしました。
造園・園芸部門でも日本庭園と茶室の出展や、盆栽の出展などはどれも好評に受け入れられ、大作菊では大賞を受賞するなど手工芸品や浮世絵などと共に日本文化の宣伝に大きく貢献しました。

1886年には福羽逸人(ふくばはやと)が自身一回目の渡欧をし、1888年にベルサイユ園芸学校に入校。後に、新宿御苑の設計をするアンリ・マリチネに造園法を学びました。

福羽逸人は第4回(1889年)・第5回(1900年)のパリ万博に日本庭園や盆栽・大作菊の出展、大賞受賞に関わりました。

その後 福羽逸人は、新宿御苑開園(1906年・明治39年)掛長として前出のアンリ・マルチネに新宿御苑の設計を依頼し、同氏設計によるフランス式庭園が日本で最初に作られました。
福羽逸人は日比谷公園開園(1903年)の花壇の設計などにも携わっています。

林脩巳(はやしのぶみ)が現千葉大学園芸学部の洋風庭園を造る

千葉大学園芸学部の前身は、千葉県立園芸専門学校です。
戸定が丘にあった千葉中学松戸分校が千葉県農業試験場の移転先となり、1909年に千葉県立園芸専門学校が開校しました。

開校にあたりこの専門学校の基礎を作ったのが、林脩巳(はやしのぶみ)でした。
 林脩巳は、前出の福羽逸人(ふくばはやと)から新宿御苑で園芸を学び、大隈重信邸の園芸主任を11年間(1895~1906年最後の2年間は英国留学及び英仏米で園芸修行を積む)つとめ、そのつとめから名声を得、当時売れっ子園芸家となっていました。
英国留学から帰国後は、岩崎邸(現三菱の迎賓館)に西洋庭園を造りました。
その林脩巳が、千葉県立園芸学校の講師となり、講義と庭園実習の講座を受け持ちました。
千葉大学園芸学部の原点はここにある、と言われています。

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林脩己(はやしのぶみ)前列右から3人目(小林達明学部長提出資料 撮影年月日不明)

林脩巳は実習で、生徒を動員して土手を切り崩し、モッコで運んで地盤を作る作業を積み重ねて校舎に併設した庭園を造りました。
現在も伝わるフランス式庭園、イタリア式庭園、イギリス風景式庭園、ロックガーデンなどは、林脩巳と生徒によって実習で造られたものです。
千葉大学園芸学部にあるこちらのフランス式庭園は、日比谷公園、新宿御苑、岩崎邸庭園についで日本で4番目に古いフランス式庭園となっています。

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庭園の維持に協力されている千葉大学OGの方達

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フランス式庭園の樹齢100年を超えるチャボヒバ

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庭園の周りを囲むユリノキやニセアカシア、エンジュの並木

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日時計のあるイタリア式庭園

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クスノキのあるイギリス風景式庭園

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与謝野晶子の歌碑

庭園は観光名所にもなっていたと言われ、1924年(大正13年)与謝野晶子がこの地を訪れた時に、花園の美しさを60首の短歌に詠んでいます。

与謝野晶子は松戸出身の洋画家・板倉鼎(いたくらかなえ)と親交があり松戸を訪れていたそうです。

短歌は、戸定が丘歴史公園内や千葉大学園芸学部庭園内にある歌碑で読むことができます。


徳川昭武の戸定邸庭園への庭園と樹木愛

1度目は1867年のパリ万博、2度目は1876~1881年のフィラデルフィア万博の訪米後。2度のフランス留学の経験を経た昭武は、1884年に戸定邸を建築しました。
戸定邸庭園は2度の拡張工事がなされ、完成までに6年を要しました。
戸定邸庭園は近代洋風庭園なのだそうです。

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眼下に江戸川、遥かに富士山を望む借景を利用している庭園

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庭園には、軒下まで全面にはられた芝生があります。全面の芝生が、洋風庭園と言われる理由の一つです。
そして、7本植えられているコウヤマキは当時樹齢100~200年のものが集められ、160人の人夫によって2日掛かりで丘の上まで運びあげられました。
その配置にも強いたこだわりがありました。
そこに「昭武の庭園と樹木に対する愛とこだわりを強く感じる。」と、戸定歴史館の齊藤館長は言います。
徳川時代に幕がおり、新し国家体制の中で戸定邸は、昭武が徳川家として「どういう空間で暮らしたいのか」いう姿が投影されている場所なのだそうです。

そこには幼少期に過ごした水戸の偕楽園や、所有していた小石川後楽園、墨田公園の影響と共に、2度のフランス留学の経験やその後のナポレオン3世の息子との親交や人脈など、万人には経験し得ない多くの事が積み重ねられています。
戸定邸庭園(旧徳川昭武庭園)の復元工事について
戸定邸庭園が国の名勝に指定されたことを受け、明治期の庭園の姿に復元する工事を行っています。
庭園の公開休止期間:平成28年11月29日から平成29年夏頃まで(予定)

松戸の中のパリ~100年前に引き寄せられた庭園愛

戸定邸が建築され、庭園が2度の改修工事により完成してから19年後、千葉園芸学校開校のため林脩巳が戸定が丘の地に来ます。
昭武の2度のフランス留学での感動と経験、林脩巳の英国留学時に英仏米で園芸修行を積んだ感動と経験が、それぞれの庭園として具現化されました。
ここでこうして隣り合って西洋庭園を作ったことは、たまたまの不思議な事象なのだと齊藤館長は言います。
取材を通して、徳川昭武と林脩巳の100年を超えて生き続けている庭園愛と感動を感じました。
昭武が建てた戸定邸は国の重要文化財に指定されています。また、戸定邸の庭園である、旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)は、2015年3月に国の名勝に指定されています。
たまたま集まったと言われるこの歴史的・文化的な庭園を、徳川昭武と林脩巳の愛を感じながら、四季折々の美しさを楽しみ、松戸の宝として受け継いでいきたいですね。
そして、松戸の中のパリを是非感じてみて下さい。
取材では、戸定歴史館・齊藤洋一館長、千葉大学園芸学部・小林達明学部長にご協力頂きました。

◇千葉大学園芸学部 松戸キャンパス 松戸市松戸648 の地図
◇戸定邸 松戸市松戸714−1 の地図

《PROJECT(プロジェクト)1867イベント予定》

◆戸定歴史館
徳川昭武がパリ万博にPROJECT(プロジェクト)1867「プリンス・トクガワと渋沢栄一」を、
2017年3月18日(土曜)から6月25日(日曜)の会期で開催します。

この記事を書いたライター(市民記者) 清水 美惠子

松戸在住14年、6年前に家を建てました。夫・2人の子供・義母+ねこ1匹家族の主婦で、ライフオーガナイザー&ルームスタイリストの仕事をしています。街を愛し街に愛されるをモットーに、”まつどやさしい暮らし”を発信しています。